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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

矛盾だらけ日顕の血脈相承

2006年11月24日 15:26:15

 日顕宗が、法主を絶対化するために利用する「血脈相承」云々は、こんなにもデタラメな「オカルト説法」

 御書にある、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事(時の貫首・法主といえども、仏法に背いて自分勝手なことをするようなら、用いてはならない)」(2世・日興上人)が、結局、正しい。

『創価新報』2006年9月20日付

破綻、矛盾だらけの日顕宗の“相承”

憂宗護法同盟 中島法信住職に聞く

法主絶対の果ての「オカルト教義」

笑止! “もぬけの殻”のはずの隠居法主が「血脈の不断に備える」(宗規)とは

まるで子どもだまし! 己義、謗法、ヨウ犯……
こんな法主に「宗祖の魂」があるというのか


56世 日柱
宗内から“辞職勧告”
“嫌々”日亨法主に相承


61世 日隆
総監時代“妾狂い”で背任
本山に住まず、本尊も書かず


62世 日恭
神札受諾、大石寺の火災で焼死
一部僧侶の合議で「次」が決定


写真右上 58世日柱退座をめぐる紛糾を報じる「静岡民友新聞」(大正14年11月~15年3月)

写真中下 61世日隆の醜聞は「読売新聞」(昭和5年12月29日付)にも掲載された

写真左下 大石寺の火災を報じる「静岡新聞」

 日顕一人を祭り上げるために、「法主絶対」の邪義ヘと変質してしまった宗門。しかし、日顕宗の強弁する「血脈相承」なるものが、いかに宗開両祖の教義とはまったく違う“まやかし”に過ぎないかは、宗門の史実に照らしてみれば一目瞭然だ。言い張れば言い張るほど、宗門は笑われるばかりなのである。ここでは幼稚で陳腐、矛盾だらけの日顕宗の相承をめぐる邪義について、憂宗護法同盟の中島法信住職(名古屋・妙道寺)に語ってもらった(文責は本紙編集部)。

 「当代の御法主上人の御内証には清浄なる大聖人の御法魂がましまされる」

 「御内証に『生身の釈迦日蓮』の尊い命が流れている御法主上人」

 「年齢、学解に関係なく、法体相承を受けられたその御内証には日蓮大聖人の御生命が直ちに宿られるのである」

 こうした言葉に象徴されるように、相承を受ければ、それだけで法主には「大聖人の法魂」が宿るというのが今の宗門の教義である。

 そもそも、こんな教義は大聖人の仏法とはかけ離れたものであるが、今回はあえて、この日顕宗の教義を前提にして、“であるならば、この事実をどう釈明するのか”という視点から宗史を振り返ってみたい。

 日興上人は26箇条の御遺誡で「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」と、法主にすら謗法があることを予見されていたが、謗法の法主にも「大聖人の法魂」は宿っていたというのか。聖僧ではない法主にも、ヨウ犯のある法主にも、「日蓮が魂」が宿っていたというのか。

 また、相承が「唯授一人」「金口嫡々」であるならば、授けた側の隠尊は「大聖人の法魂」が抜けた“もぬけの殻”であるはずだが、その隠尊が法主であるかの如く振る舞うのはどういう訳なのか。

 宗規には「退位した法主は、前法主と称し、血脈の不断に備える」(第7条)などとしているが、唯授一人で相承してしまえば、その前法主の内証には法魂などないのだから、不断に備えることなどできないのではないか。

 こうした観点から宗門の史実を改めて検証すると、宗門が金科玉条の如く持ち出してくる「代々の聖人悉く日蓮なり」(御本尊七箇相承)など吹き飛んでしまい、日顕宗の主張する「血脈相承」なるものが論理的にも、また歴史の上からも、いかに矛盾だらけであるから浮き彫りになるのである。


 たとえば、58世日柱上人の場合。

 日柱上人は法主在任中の大正14年、クーデターにより辞任させられたわけだが、この時、当時の宗会は日柱上人の不信任案を決議し、辞職勧告までしている。

 しかも、その勧告の内容たるや「管長土屋日柱猊下就職以来、何等ノ経綸ナク徒ラニ法器ヲ擁シテ私利ヲ営ミ、職権ヲ濫用シ僧権ヲ蹂躙ス。我等、時勢ニ鑑ミ、到底一宗統御ノ重任ヲ托スルヲ得ズ。速カニ辞職スル事ヲ勧告ス」と辛辣極まりない。

 つまり、宗祖の魂が宿っているはずの「法主上人」に対し、そんな能力はないと不信任をつきつけて辞めさせたのである。

 こんなことが許されるのか。大謗法ではないのか。

 さらに、翌15年2月の管長候補者選挙では、日柱上人に投票したのは、本人をのぞけばわずか二人。残る82人は日柱上人を法主と認めなかった。要するに放逐したわけだ。

 これが、大聖人の魂が宿っている法主に対する処遇なのか。

 なお、宗内大混乱の末、文部省の調停で妥協。混乱を収拾するために、59世には掘日亨上人が就いたが、日柱上人にとっては、この時の相承など“嫌々行った”というのが実態。

 「師弟相対とは、師匠の弟子に対する絶対の信頼と弟子の師に対する絶対の帰依による」(日蓮正宗要義)との、宗門の言い分ともかけ離れたものだった。

 この史実を一体、どう説明するというのだろうか。


 昭和10年6月、60世の日開上人が猊座を譲った61世日隆上人の場合はどうなのか。

 日隆上人は総監時代に、若い芸妓に入れ上げ、寺の財産を使い、その芸妓を落籍。“妾狂いで背任”と一般紙でも報じられた、いわく付きの人物だった。

 日開上人は、この日隆上人のどこに「絶対の信頼」を置いて、自分の後継者として相承したというのか。

 宗門の教義によれば、こうした行躰の人物であっても、 相承さえ受ければ、大聖人の法魂が宿るというわけだが、日隆上人にも、その法魂は宿っていたのか。

 なお、日隆上人は2年4カ月の在任中、一度も大石寺大坊には住まず、東京の常泉寺にいた。したがって、客殿での丑寅勤行の導師も勤めず、宗門最重要行事の御大会すら二度とも欠席した。さらに、一幅の本尊も模写していない。

これが、大聖人の法魂が宿った法主の振る舞いといえるのだろうか。


 創価学会に神札受諾を迫った62世日恭上人は昭和20年6月17日、大石寺の火災で焼死された。

 同上人の焼死については、当時の高僧からも、こんな声が上がっていた。

 「金口嫡々の法主上人が此くの如き御最後を御遂げになったと云ふことは僧俗共に深く考へなければならぬことで、是は大聖人大慈の御誡めであります」(中島日彰)

 「宗門全体に対する御罰でなくてなんであろう、今こそ宗門僧俗一同の責任に於いて深く惣懺悔をしなくてはならぬ」(渋田慈旭)

 大聖人の法魂が宿った法主が、神札を祀れと言ったうえ、焼死という非業の最期を遂げた事実についても考えなくてはならないが、問題なのは、日恭上人が誰にも相承をしないままに亡くなったということだ。

 結局、半年近くも猊座が空席となり、一部の僧侶の合議によって日満上人が当座したのだが、その際、相承したのは隠居の身であった61世日隆上人だった。

 しかし、宗門が法主絶対の依文として利用している「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし」(化儀抄)の文の通り、唯授一人の相承をすれば、大聖人の法魂は授けた隠居法主から現法主に移ることになる。つまり、隠居法主は、“もぬけの殻”でしかないはずだ。

 当時、隠尊は日隆上人、日亨上人の二人だった。では、日恭上人が亡くなるまでは、大聖人の法魂は誰に宿っていたのか。三人に宿っていたとでも言うのだろうか。

 それでは、唯授一人ではなく“唯授三人”になってしまう。法魂というものは、いくつにでも分裂するものなのだろうか。

 その日満上人も、勝手に山内の由緒ある杉の木を伐採、売却し、私服を肥やしにた挙げ句、若手僧侶から退陣を迫られ、昭和21年12月に失脚している。

 この、本山の資産を勝手に売り払うという行為も、宗祖の法魂が宿った人物がするようなことなのか。

 一方、法の魂が宿った日満上人に対して、退陣を迫るなど、大謗法ではないのか。

 宗門では、「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日が如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり」との御文を持ち出して、歴代の法主を惣貫首として大聖人に対するのと同じように敬えと言っているが、前出の日柱上人への不信任や、日満上人への退陣要求など、どこが、「存日の如く」仰いでいるというのか。

 説明してもらいたいものである。

(談、つづく)


『創価新報』2006年10月4日付

破綻、矛盾だらけの日顕宗の“相承”

憂宗護法同盟 中島法信住職に聞く

こんな法主にも“宗祖の魂”が宿るというのか

53世 日盛
大石寺から失踪、行方不明に
やむなく51世日英が再登座のドタバタ


33世 日元
浅間神社に本尊を下付
日興上人の遺誡に違背する大謗法


13世 日院
わずか「10歳」で登座
“介添人”が必要だった稚児貫首


67世 日顕
昭和53年4月? 54年7月?
法魂はいつから“止住”


 53世の日盛上人は慶応元年に起こった大石寺の火災の後、本山から失踪して、行方不明になってしまった。相承もせずに、である。二人の僧侶が捜索のため各地に派遣されたが、結局、見つけることはできなかった。

 こんな無責任も、宗祖の法魂が宿った法主の振る舞いだというのか。

 結局、やむなく、“もぬけの殻”であるはずの日英上人(51世)が再び登座したが、高齢のため、わずか1カ月で辞意を漏らし、同じく“もぬけの殻”であるはずの52世日霑上人が再登座。

 ちなみに、日霑上人は、55世日布上人の後にも登座しており、都合3回も猊座についている。そのたびに、宗祖の法魂が出たり入ったりしたというのだろうか。まったく、忙しい話である。

 なお、日霑上人の失踪については、日霑上人が自伝に綴っていたが、平成元年、この自伝が再版されるにあたり、日顕“霑師の自伝には一般信徒に知られたくないものがある”と感想を漏らしていた。

 こうした、幕末・明治期の大石寺の騒動が「法主絶対」を主張するうえで都合が悪いことに、日顕も気がついていたからにほかならない。


 日顕宗では、33世日元上人から相承を受けた35世の日穏上人が書かれた「並開山日興上人、日目上人、日有上人等五箇條の條々不残御渡あって、さて元師の言様、此の秘法を胸中に納め玉ふ上は、日蓮、日興日目、乃至日因上人、日元、其許全体一体にて候」との文を引き合いに、「日元上人は、日穏上人が『此の秘法を胸中に納め玉ふ』ことによって、大聖人日興上人以来の御歴代上人の全体と一体の不思議な御境界となられていることを述べている」と言っている。

 つまり、日元上人から相承を受けたことで、日穏上人は大聖人以下の歴代と一体になったというのだ。しかし、実は沼津の浅間神社に本尊を下付したのが、この日元上人なのである。

 謗法厳誡を貫き、身延を離山し、「檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ずる可けんや、返す返すも口惜しき次第なり」とまで遺言された日興上人の御精神に照らした時、まったく言語道断ではないか。

 このように明らかに謗法を犯した日元上人から相承を受けても、大聖人の法魂は宿るというのか。また、こんな日元上人まで含めて、「宗祖以来の歴代の全体」というのだろうか。


 “相承を受けただけで大聖人の法魂が宿る”という日顕宗の教義がおかしいのは、「稚児貫首」という史実に照らしても明らかだ。

 宗門の「富士年表」によれば、12世の日鎮上人は14歳、13世の日院上人に至っては10歳で登座している。

 10歳といえば、小学校4年生。そんな子どもにも、大聖人の法魂が宿っていたというのか。

 また、日顕は稚児貫首に関連して、こう言っている。

 「先輩からの話を聞きながら、この兒が成長していって真に法を正しく受けるという、その介添え人を含めてのあり方も存する」

 「みんなが支えて、そしてその血脈を伝持していくというその宗団情勢があった」

 しかし、年がいくつであれ、相承を受ければ、大聖人の法魂が宿っている法主であり、信伏随従しなければならないというのが、宗門の決まりであろう。

 そんな、批判すらしてはならない法主に対して、「介添人」「支える」とは、なんという不遜千万。今の時代であれば、?慢謗法で賓斥処分は免れまい。


 大聖人の法魂が抜けてしまった隠尊に御本尊の書写が許されるのかという問題も出てくる。

 「総本山歴代上人の御本尊書写は、大聖人の御化導の上より、三大秘法整足の大御本尊の御内証を、唯授一人の相承をもって書写申し上げる」と言っているように、内証に宗祖の法魂が宿っているから御本尊を書写できるというのが宗門の言い分である。

 であるならば、後継に相承をして、法魂が抜けて出てしまった隠尊は書写してはならないということになる。

 内証に法魂のない人間に、その内証を墨に染め流せなどというのは、ヤギに向かってニワトリのタマゴを産めと言ってるようなもの。ブタに向かってウシの乳を出せと言っているに等しい。無いものを出せというのだから、土台、無理な話であるはずだ。

 ところが、宗門では隠尊が御本尊を書写していた例がある。たとえば、大聖人の550遠忌の頃には、日荘上人(49世)だけでなく、隠尊の日量上人(48世)も御本尊を書いている。

 また、登山した人に対し、隠尊が書いて下付していた例もある。そもそも、日興上人も、日目上人に相承を授与した後でも御本尊を書写している。

 つまり、大聖人の法魂が止住していないはずの人が現実に本尊を書写していたわけである。

 これを一体、どう説明するのだろうか。


 日顕本人の相承についても、疑問は尽きない。日顕は、昭和53年4月15日に日達上人から相承の内付を受けたと言い、翌年の7月22日、日達上人の急逝後に登座している。

 では、その1年3カ月余の間、大聖人の法魂はどちらにあったのか。「法の宝」「仏の宝」の法体はどちらに止住していたのか。

 日達上人が亡くなった時点で、自動的に法魂が日顕に移るとでもいうのだろうか。

 現在の日如との関係に照らしても、宗門の言い分は矛盾だらけだ。

 「これ(相承)によって、日蓮大聖人の根本の法体法義は、現在、第68世日如上人猊下の御所持あそばされるところとなり、我々は日如上人を、正法弘通の大導師として尊仰し奉るのである」「大白法」2月1日付)とあるように、日顕宗の教義からすれば、昨年の12月12日から、現法主である日如が大聖人の“法魂”を所持していることになる。

 また、相承は唯授一人であり、二人、三人、五人ではない。一人対一人。ということは、日如に相承を授けた日顕には、もう大聖人の法魂は宿っていない。“もぬけの殻”なのである。

 かつて日顕自身“合掌礼をもって法主に対するのは、内証に止住している法体に約するから”と言っていた。つまり、自分は凡夫だが、内証の本仏に合掌礼が必要だというわけだ。

 ならば、日如に相承したことにより、法魂が抜けてしまった日顕には合掌礼をする必要などまったくない。また、「奉供養」もいらない。

 いわば、今の日顕は、登座前の「阿部信雄」の境涯に戻ったと理解すべきである。

 こうして検証すれば、相承を受ければ、それだけで法主に「大聖人の法魂」が宿るなどという日顕宗の教義が、いかに陳腐で、欺瞞に満ちたものであるかは明白である。

 ありもしない、宗祖の内証なるものをあると偽り、大勢の僧俗大衆を欺いてきたことは、詐欺である。

 日顕は、その罪を認め、地に伏して詫びるべきである。

(談)




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